日本の庭園は、例えば西洋と比較したとき「水を支配する」というよりは「水に従って暮らすことで水との共存を図ろう」としています。
例えば、京都の名所や庭園での水との暮らしぶりはそのことを伝えてくれますし、竜安寺の石庭や大徳寺大仙院の庭のような、枯山水の庭園は恵みと脅威をもたらす水への畏敬の念を、水を使わずに象徴的に表現したものと言えます。
今回は、そんな庭園をめぐる日本人にとっての水の考え方や価値観を探ってみたいと思います。
『作庭記』から見える日本文化における水と自然との対話方法
日本には、自然を主体として尊重する考え方が古くからありました。
例えば『作庭記』においては、自然をどうとらえるかについて深い考え方を示し、水や木の扱い方を述べています。
『作庭記』とは平安時代に書かれた日本最古の庭園書です。
作者や編纂時期については諸説ありますが、現在、橘俊綱であるとする説が有力です。橘 俊綱は、摂政・関白・太政大臣を務めた藤原頼通の次男として生まれ、平安時代中期から後期の貴族・歌人として知られています。
さて、この『作庭記』において、特に多くを割いているのは実は「石」についてです。
調和のとれた庭園をつくるために石を配置し、石を組みあわせる必要がありますが、どのように石を扱えばいいのか、を述べています。
その最重要の心が
石の乞はんに従い
という言葉に集約されています。
庭石は、人が石はこうあるべき、石をこう置くべし、と考えて配置するのではない。
石が願っているように、石が望んでいるように石を据えてやる、このことに尽きると説いているのです。
人が主体ではなく、石が主体となる景色こそが求められているという訳です。
材料の「望み」を考え、材料の「意図」を聞いてから作り手としての人間の意志が発揮されるという考え方。非常に深いものがありますね。
そして、『作庭記』では、石に関する理論とあわせて、水の理論も述べています。
石について述べた箇所でも、石を配置して遺水の流れを合理的にコントロールする技法が記されています。
遺水とは、庭園などに水を導き入れて流れるようにしたもので、流水の曲折にさまざまな工夫が凝らされ,また水中の底石,流れを変える横石,水越石などの配置にも独特の苦心が払われました。
さらに興味深いのは、水のコントロール、または、水との共存の仕方を土との関係から述べている所です。
土をもって帝王となし、水をもって臣下となす、ゆえに水、土のゆるすときにはゆき、土のふさぐときにはとどまる
水は土からすると臣下であって、王である土が許せば進み、土がふさげばとどまるのです。
さらに、
土がおおきなかたまりをなす「山」を例にとり次のような説を述べています。
山をもって帝王となし、水をもって臣下となし、石をもって補佐の臣とする
水は山を頼りに進むけれども、山が弱ければ水に崩される。これは臣が帝王を侵すことを示しています。
山が弱いのは支える石がないところであり、帝王が弱いのは補佐する臣が無い時だという訳ですね。
山は石によってまっとうされるわけで、帝は臣によって保たれるということです。
支配秩序と自然摂理を並べながら論じ、庭園における水と土への対処、そして石の役割についての思想を展開しているのです。
この根底を貫く考え方は
生得の山水にはまさるべからず
です。
人が意図してつくりだした造形は、自然そのものに勝るということはない、という考え方。
これは確信に似た価値観ですね。
この信念に基づいて自然を深く観察し、人間が占めるべき位置はどこかを考察する、石の乞はんに従い、木の声に耳を傾け、水の進退と土の働きに思いをめぐらす。
日本文化の中の自然との対話は、神秘的で奥ゆかしく、先人の深い洞察に裏打ちされているものです。
こうした水の美学ともいえる考え方は大事にしていきたいですね。
まとめ
日本は近代化にともなって、かつての共存が大きくぐらついていると言えます。
美しかった水の風景が無残な姿を呈している例が少なくありません。今回ご紹介したような水の芸術学的な原点に立ち戻る必要がありそうです。
参考文献:『水と文化』勉誠出版
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